よもやま話/社長のブログ

将来の不動産業界

受講者1人

先日、福井市内で「経営者必見!不動産インターネット取引解禁?!」というセミナーに参加してきました。限定10人とのことで、申込者殺到かと思いきや、当日の受講者は私一人。講師一人に受講者一人のマンツーマン、まるで、出来の悪い生徒の居残り補修授業のような形で始まりました。

受講した理由

宅建協会の役員をしていて「得すること」ってあまりないのですが、唯一の「役得」は、全国の業界の流れや他地域の同業者との情報交換です。不動産業界にも新規でそれも異業種からの大手参入が相次ぎ、特に大都市圏では既存の大手も警戒どころか、その対応に追われ、中小零細の既存の「街の不動産屋さん」のテリトリーまで入り込んできていることが、今この業界では最大の関心ごとです。とはいえ、全国12万社のうちの85%を占める従業員5名以下の「街の不動産屋さん」は相変わらず「のほほん」と「最近なんだかヒマまじゃね」って言っています。

私も協会の役員にならなければ「街の不動産屋さん」気取りで「のほほん」と「最近なんだかヒマまじゃね」って車を洗っていたかも知れませんが、一方では(内心では)ザワザワと心境は穏やかではありませんでした。これは、2年前に次男坊が会社に入社し、今後の「事業継承」が経営の大きな課題に置かれたことが大きく影響しています。

昭和30年から40年の終わりころまで、弊社のある丸岡町本町通りは、どこにでもあった小さな街の商店街でしたが、多種多様な業種がそろっていて生活必需品はすべてこの商店街でそろえることができました。それが、まず食料品店や八百屋さんが消え、次に電気屋さん、衣料品の店、履物屋さん、家具屋さんが消えていきました。その後、本屋が消え、最後まで残っていた薬屋さんや自転車屋さんもここ数年で多くが消えて行ってしまいました。消えていった業種のほとんどは、ショッピングセンターや郊外の大型専門店が出店された時期と符合しています。ほんの20~30年でこれだけ時代は徐々に変わってきています。

私の父は、この場所で電気販売店を営んでいました。私も大学の夏休みには2年ほどテレビ修理の実務講習を受けましたが、大学3年生の時に「親父、電気屋はもうこの先無理だと思うし、俺も継げないよ」と言いました。その後、山下電気商会は、昭和53年に廃業しました。

電気屋の後で何をするか、私が大学在学中に決めた職業が不動産業でした。少なくとも、これから先、この業界、この商店街で「街の和菓子屋」のように生き残っていくために、考えなければならないと思ったのが受講のきっかけでした。

さびれた商店街の和菓子屋さん

寂れた商店街でも、しぶとく?生き残って商売を続けている業種として必ず例として挙げられるのが、和菓子屋さんですが、わが町もそれは例外でなく、今でもしっかり営業をしています。やはり、規模の大小はあれ、製造から販売まで一貫自社生産、自立した価格設定など生き残る要素がしっかり残っている業種は頑張れるのです。

不動産業者は多少の違いはあるものの、仕入れも販売もできるのは和菓子屋と同じ、仕入れ価格も販売価格も決まっているような一般の販売業と違って、相場はあるものの、価格も自社で決められる商売です。

新たな不動産取引

マンツーマンのセミナーでは、新手の不動産業者の手法が詳しく説明されました。特に、異業種からの新規参入組の不動産手法についてはある程度知っていましたが、中身を聞くと「なるほど」の連続。街の商店街が、多店舗大型化専門化した郊外店舗に壊滅されたのと同様、異業種からの参入組はそれなりの武器を開発して乗り込んできていることが良くわかりました。最近の異業種からの参入は、損害保険や生命保険、銀行そしていよいよこれから不動産業界ということを聞いて戦々恐々とした心境となりました。

地上戦

福井のような田舎では大手はまだまだ出てこないと思われていますが、「遠い」からという理由は今後打ち消されてしまうと思います。遠隔地でもインターネットで物件を説明したり、契約を交わしたりすることが認められれば(現在は「対面」が必要)「遠い」という理由はなくなります。

今回のセミナーで、大手が持っている新たな武器はある程度わかりました。しかしその武器を持って福井に出てきても「これはかなわない」という武器を教えて頂きました。たとえが悪くて申し訳ありませんが、今、シリア・イラクで行われているアメリカの空爆では過激派の活動を食い止められず、近いうちに地上戦に入るというニュースが流れました。大手が仕掛ける空中戦には、空中で対抗しつつ、我々「街の不動産屋さん」は地上戦で打ち勝つしかありません。空中戦に負けず、大手に対抗できる地上戦の武器も今回のセミナーで「私だけ」が教えて頂きました。