頑張れドラゴンズ

中日ドラゴンズ

私の小さい頃は町内会単位で少年野球チームがあり、夏休みの後半にある全町の野球大会に向け、毎日白球(軟式ですが)を追いかけていた思い出があります。
当時はテレビの民放は2局、小学3年生くらいまではナント1局だけで、やっている番組も野球か歌謡番組かドラマだけで、バラエティ番組と言えるのは中学生になって始まったゲバゲバ90分とかが初めてだったような記憶があります。
そんな小学校6年生のとき、福井で国体が開催されることとなり、福井市内に新しい野球場が建設され、そこでプロ野球チームの公式戦が開催されることとなり、普段はどこへも連れて行ってくれなかった父にせがんで初めて生のプロ野球観戦が実現したのです。
対戦は中日対広島、中日は当時濃い水色に少しエンジ色の太いサイドラインが入ったユニホームで子供心にかっこ悪い、ダサい印象でした。対する広島は今とほとんど変わらない?赤を基調とした例のユニホームでした。
当時は野球といえば巨人でしたが、これはテレビが巨人戦しか映さないのでどうしても巨人の選手だけを見ることとなり、テレビを含めて巨人戦以外の試合を見るのもこれが初めてでした。
試合当日はかなりの人が球場につめかけましたが、私たち親子は3塁側ベンチの一番後方で見ていた記憶があり、確か試合開始のとき「中日広島の6回戦」と言うアナウンスを聞いて「えっ今日の試合は6回で終わりなの?」と質問した覚えがあります。とぼけた野球少年だったんでしょうね。
それでいよいよ試合開始、中日監督はこの年就任した水原茂、先発はルーキーの星野仙一、今では超有名人となったがこのときの投手星野はまだプロ入り2戦目の先発、そして未勝利、福井ではまだその存在すら知らない投手が投げ、相手はこれまた福井ではなじみのない選手ばかり、山本浩二もルーキーで出場したが、星野に三振を喫し星野のプロ入り初奪三振の相手として記録された。
試合は確か6回まで星野が1点で押さえ3対1で中日が勝ち、星野仙一プロ入り初勝利と言う試合になったことで星野の名前が小学6年生のとぼけた野球少年の頭の片隅に記憶されることとなったのでした。
その後、中学、高校では野球と離れたものの、どうも人と同じことが嫌いな私の性格からプロ野球は自然とアンチ巨人となっていたが、そこで巨人を相手にガッツポーズを決める星野にたびたび出くわすこととなり、少年時代の初観戦が頭の片隅から中心部に移ってきたような気がします。
そして社会人となり、あるゴルフ場の会員権を購入したら招かれたパーティーに来ていたのがあのお方だったのです。今でもこのときのツーショットは私の横に飾ってありますが、その後彼が中日の監督に就任するや、私のドラキチが始まったのでした。
今では愚息が星野氏の後輩となりナントも自分勝手ながら不思議な縁を感じてしまうのですが、2001年の中日監督勇退後、阪神監督に就任するや初恋の彼女のような存在?になってしまったのは寂しい限りです。