社長のブログ

寒くなりましたが、40年ほど前は…

今日は何だか非常に寒く感じ、いつもはエアコンだけの事務所に朝、石油ストーブを出してきて今季初めて火を点けました。
いつもの店に昼食を食べに行ったときも、寒さの話から暖房機器が話題になりました。その友人宅は1ヶ月前に完成し、給湯は電気温水器のエコ給湯、キッチンは言わずと知れたIHクッキングヒーター、暖房は蓄熱式暖房と、すべて電気を使った最新式のハイパー住宅なのですが、なんと家では靴下やスリッパも履かずに裸足で過ごしているとのこと。いつも適度のポカポカでテレビを見ていても、いつの間にか居眠りしてしまうのが悩みとのこと。うらやましい限りですが、まだ電気代がどれくらいか請求が来ていないので、多少戦々恐々だと言うことでした。
それから話題は40~50年前まで間でさかのぼり、ALWAYS「三丁目の夕日」(三丁目を数字の3丁目と書かずに三丁目とちゃんと漢数字で書いてますが、実は日本全国どこの都市へ行っても町名としての正式表示は漢数字を使っています。たとえば、本町3丁目と書くことは八王子市を8王子市とか、十日町を10日町と書くのと同じ感覚なのです。)
話は、ALWAYS「三丁目の夕日に戻りますが、あの頃はほとんどの家が地震後建てられた木造の家で、冬は3枚ほど布団を羽織って寝ていたり、夜、吹雪の時などは朝窓際を見ると、家の中にもスーっと一筋雪が積もっていたことが何度もあったと懐かしい話に花が咲きました。そういえば、電気毛布もなく足に電気コンロがあったり、コタツに布団を掛けて寝てたりしてました。
朝顔を洗うときも、蛇口は水道栓一つだけで、よくヤカンにお湯を沸かして顔を洗ってました。瞬間湯沸かし器が出てきたのは昭和40年以降だったと思います。そういえば、手が赤切れしてシモヤケの女の子もたくさんいましたね。(シモヤケってもう使われてない言葉ですね)
それでも学校はコークスを焚くストーブがあって、あれは暖かかったな。ガンガンコークスを入れると、周りが真っ赤になって、ストーブに近い一番前の奴らは、最初は気持ち良くてこっくり居眠りが始まり、授業が終わることはホッペタも真っ赤かだった。授業中暑くてノボセて鼻血が出すことも多かった。
懐かしい映像も見つけました。あのローラーを回して脱水、というより水を絞る洗濯機がALWAYS「三丁目の夕日のサイトの中にありました。
東京に行っている愚息たちが寒いと思って、安全性を考えて親馬鹿の親が選んだ暖房機はこれ デロンギというイタリアメーカーのオイルヒーター、寝室としている6畳弱の部屋でベッドの横に置くには、電気や石油ストーブでは火事が心配ですし、エアコンは電気代がかかるとのことで、これにしました。
オイルヒーターはすぐには暖まりにくいのが欠点ですが、24時間に入切が何度でもできるタイマーと、熱くなりすぎないサーモスタットがこの商品のウリで、夜就寝前の1時間くらい前に入にして、2時間後に切、起床する2時間前に入にしておけば、すぐに冷えてしまわないので、鉄筋コンクリートなどの断熱性のある住宅の寝室にはこれが私のお勧めですね。(やっぱり親馬鹿は直らないです)。
さて、明日は勤労感謝の日で会社は休みですが、長本町の中古住宅の契約でお昼から仕事です。来週には、猪爪1丁目も契約に向けて話が進んでいて、お蔭様で後しばらくは忙しそうです。