自慢のお店と愉快な仲間たち

サロン・ド・テ・西洋菓子倶楽部 高乃倉(山中)OPEN

西洋菓子倶楽部の県外初のお店「サロン・ド・テ 西洋菓子倶楽部 高乃倉」が、平成23年1月16日にグランドオープンします。

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オープン前のレセプションが13日から15日までの3日間開かれているとのことで、早速行って来ました。
場所は、山中温泉の総湯「菊の湯」から、メイン通り「ゆげ街道」に100mほど上がった所。福井や丸岡から行くには、大内峠を越えて、山中に入り、こうろぎ橋入口をそのまま直進した右側です。片岡鶴太郎工藝館の目の前です。
外観は、店名の「高乃倉」の「倉」をイメージした、瓦葺の文字通り校倉(あぜくら)風の倉を、2棟つなぎ合わせた感じで、正面の吹抜けに1本の樹木を配することで変化をもたせて、温泉街の落ち着きの中で浴衣姿で前を歩いても違和感の無い落ち着いた建物だと思います。


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早速、店の中に入ろうとすると、玄関横には「高乃倉」と書かれた番傘が並んでいました。そもそも何故、洋菓子店なのにあえて「高乃倉」ってネーミングなのか、何故、「玄関に番傘」なのかという疑問の裏には、山中出店に臨む、ここの社長の並々ならぬ情熱と戦略が隠されています。


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店内は、間口が広く奥行きは浅いものの、まるで高級デパートの洋菓子売場そのもので、ショーケースの中にはあとで紹介する「番傘」の他、山中の酒蔵の仕込み米の米粉に加賀棒茶と和栗を加えた「山中ロール」、加賀棒茶の入ったバームクーヘン「こうろぎ橋、渡ろ」、さらに能登半島の卵を使った「芭蕉バウム」それと和三盆で作ったクッキー「ほろり」など新作洋菓子が並べられています。


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お店の左側は、西洋菓子が福井で培ったケーキや焼き菓子が綺麗にディスプレーされています。それにしても10年ほど前に開店した丸岡店と比べると、LED電球が発達したおかげで、ショーケースの中が明るい明るい。これは、ショーケース納入している能崎物産の長年の担当者、直江さんお勧めなのかも…。
これまでの西洋菓子倶楽部の新しいお店は、厨房・ディスプレーは直江さん、店舗デザインは大塚孝博デザイン事務所、そして店舗用地は共立不動産だったのですが、このお店だけは、店舗建設の経緯がちょっと異なり共立不動産の出番はありませんでした。(残念)


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開店の花で飾られた階段を2階に上がると、そこは選んだケーキをその場で食べれるカフェスペースが広がります。ゆげ街道を散策に来た温泉の宿泊客も、お土産を買ったついでに訪れたり、菊の湯で山中のお湯を浸ったあとに一服する人など、たくさん訪れる人気スポットになることだと思います。


少し余談ですが
山中温泉は奈良時代に僧行基が発見し、鶴仙峡と言われる大聖寺川の渓流沿いに発達した温泉街ですが、歴史のある古い温泉街は全国的に同じですが、昔は各旅館に内風呂がなく、お風呂は総湯に入りに出かけていたとのことと、戦後に各旅館が内風呂を造り出した頃、山中は渓流沿いで広いスペースが確保しづらい土地柄か、観光バスが連なって入れる大型旅館はあまり建設されず、片山津や山代温泉と比べると家族旅行や少人数で利用する比較的こじんまりとした旅館が多い温泉街です。
そんなどこにでもありそうな温泉街を少し歩くと、山中の街作りに対する歴史的な風土のようなものに気が付きました。それは、宿泊客に旅館や温泉だけではなく、町の中を散策を楽しんでもらおうと造った鶴仙峡遊歩道や「芭蕉の館」が、何と100年前に出来ていたことです。100年前にすでに観光客誘致のための、今で言う温泉街の街作りを始めていたということです。
温泉客が一人でも多く山中に来れば、伝統の漆器や九谷焼も売れる、漆器や焼物の職人が集まれば八百屋も肉屋も洋服屋もみんなが儲かる、観光客誘致のための街作りをすればみんなが、うるおうという意識、言うなれば「町全体で一つの旅館、街全体が観光地」という感覚が地元の人に根付いていたと考えられます。これはある種の山中の風土と言っても良いと思いますが、この風土が脈々と受け継がれ、その後も「あやとり橋」ができたり、山中座、総湯の建て直しなど、山中には延々と留まることなく「おこしやす」という、観光客を誘致する風土=文化があったのだろうと思います。
そういう風土は今も根付いていて、加賀温泉郷の中では、いち早く、温泉街の真ん中の狭くて曲がりくねった道を、歩きながら温泉情緒を感じながら楽しめるよう「ゆげ街道」の整備に着手し、もう少しで完成するみたいです。
前述の通り、渓流沿いに発達した山中は、山と川に挟まれ、それこそギュウギュウ詰め街の真ん中の道を広げ歩道付きの道路を整備するわけですから、お店の建て直しだけでなく、取り壊しや買収、移転など、これは田んぼを埋めて街路を作るのとはワケが違います。何十年もかけて出来上がりつつある立派な街並を見ると、余計な看板や派手な色使いの外観のお店は無く、多分厳しい景観条例とか地区計画も整備されているものと思われます。
住んでいる家を立ち退きさせたり、新しく建て直す店や住宅にも色々制限をかけるってこんな大変な事業は、そういう規制をかけた官庁や首長の手腕だけではなく、住民の協力はもちろん、それを推し進めようとする強力な住民の意識が無ければ成し遂げられません。これは、延々とそういう街づくりを推し進めてきた山中の独自の風土に他なりません。
このような街並整備は全国各地の観光地でもやり始めていますが、その規模や内容を見るとここ山中はその最先端を行っている街ではないかと思います。

さて、本題に戻って高乃倉の2階で頂いたコーヒーとお菓子がこれです。
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コーヒーの左にある赤い袋、これが今回、山中出店で考え出された「番傘」という洋菓子です。見た目は、お饅頭ですが加賀棒茶を練りこんだミルク味の練り餡?が詰まっていて、日本茶でなくコーヒーに合うやっぱり洋菓子?というお菓子です。だから、玄関には番傘だったのです。
番傘の前にある2つの小さな和菓子のようなものが「ほろり」という新製品。これは分類的?にはクッキーとのことですがライオンがネコ科、リンゴがバラ科みたいなもので、ここまできたら洋菓子か和菓子か、どっちでも、美味しければいいのでこだわりません。


個人的には「番傘」はコーヒーですが、「ほろり」の加賀棒茶味は、やや渋め、できれば九州産の日本茶が合いそうな気がしました。「ほろり」はこの他、イチゴ味とシナモン味もあるとのことです。

ここで また余談ですが…
西洋菓子倶楽部が山中という温泉地に出店するに当って、これまで通りの洋菓子を出したり、店構えやネーミングに凝っただけではなく、温泉地である山中のお土産になるために、また、旅館にお着きの時に出すお茶のお供になる地元産のお菓子になることを強烈に意識した商品を新たに作り出し、それらを統一したイメージにまとめ上げたところに、西洋菓子倶楽部の懐と潜在能力の深さを感じざるを得ません。
こんな最大級の褒め言葉を発すると、私が西洋菓子倶楽部の高乃倉社長、いや高倉社長とは取引関係にあるので、かなり「よいしょ」している見たいなので、もう一言付け加えるのであれば、「社長の思い付きを現実のものとする優秀なスタッフの技術的・感覚的な潜在能力」ということですので念のため申し添えます。>:<
ついでに、この店名「高乃倉」を付けるに当っては、高倉社長は丸岡の和菓子店だった何代か前の先祖の戸籍まで調べあげ、そこで出していた和菓子を見つけて、この店名を決めたのですが、その時は一人でかなり興奮していました。この辺にも、西洋菓子倶楽部の山中店ではなく、「新しいブランド」を立ち上げる、彼の意気込みが感じられました。
ちなみに戸籍で判るのは精々3~4代前まで。山中では「うちは16代目とか、あそこは14代目」とかの旅館や漆器屋さんが、ざらにあるそうなので、この話は福井だけにしておきましょ。

さて、これで店内回遊は終わりかと言うと、ここにはもう一つの特徴が2階にあります。
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カフェスペースとは別に、2階にはこのような美術品のギャラリーも設けられています。この日は、佐藤勝彦氏の作品が並べられていました。
力強い太いタッチの富士山、良く似たものを軽井沢かどこかで見たような… あれは浅間山か? もう少し美術的な見識も深めないと…(反省)


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小物やマグカップのようなものも展示だけではなく販売もしています。
このギャラリーは、目の前にある片岡鶴太郎工藝館と同じ山岡商山堂の社長さんが行なっているとのことです。


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これが、建物左側外部にある山岡商山堂の紋章? どうもケヤキを掘りぬき、漆で塗ったような代物です。何気ないところにこだわりを持つ、この辺が山中らしい伝統と歴史を感じました。それにしても紋章が菱形でなくて良かった?。


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福井や丸岡から行く場合は、大内峠を越えるのが道も整備され近道ですが、今日の様子はこの通り、スタッドレスタイヤが古い場合には、加賀IC経由の方が安全かもしれません。安全運転で行ってください。なお、お店専用の駐車場はお店側の3,4件隣にあります。また、菊の湯周辺、またはゆげ街道専用の公共駐車場も利用できます。定休日は水曜日とのことでした。


最後に
レセプションの招待状に、花輪などのご祝儀を辞退すると書かれていたことを、真に受けたお代わりとして、僭越ながらこのブログを開店のお祝いとさせていただきます。
新ブランド「西洋菓子倶楽部 高乃倉」
山中から今 スタート! おめでとうございます!

株式会社 共立不動産 山下健治